いわきりじどうかん 日記

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2010. 03. 03

仙台パントマイムWS

ということで・・・WSです。

今回は少数精鋭!?ということで、表現活動を児童館でしている仲間に声をかけ行いました。

まずは、わたしの所属する朗読劇「おむすびころりんの会」のみんな・ひとまちさんの体育指導員の方々でつくる「きんにく~ず」そしてわがNPOの面々。

昼間の研修会参加者よりも、開かれた・・・いや・・・「シャイではなくハイ」な方々ばかり(笑)ですので、濃くなるのは・・・覚悟のWS。

ゆみさん研修会後で大丈夫だったかしら?とか思いながら・・・

WSをお願いしたときに、朗読劇の面々も来るといっていたので、セリフ劇の演出をしているゆみさんには「テキストの発声や演出もやりましょうか?」といっていただきました。

でも、お昼の研修に参加していない面々もいること。それよりも、自分の解放ということに重きをおきたいな~ということで、昼間の研修をより濃くしていただくことにしました。

表現活動を生業にしている人は、放っておいても勝手についてきます(笑)

宮城の児童厚生員で結成している朗読劇団「おむすびころりんの会」は、朗読劇をするために結成・・・というよりは、自分達の日常生活での表現活動などを高めるためのほうが大きいかも。
私達がD.I.Lの方々から頂いたものは、目標を決めて行う劇ではないということ。あくまでもそこには、人と人のかかわりがある。つながりがある。コミュニケーションがある。

今、演劇のWSの手法がコミュニケーション技術として、障がいのあるこどもたちとのあそびとして、見直されてきています。

それは一体なぜなのか?

2年前にその研修を受けて、自分達の受けていた朗読劇の研修とも結びつき、「ああ・・・だからなんだ」と理論で納得でき・・・そのときの研修メモは私が表現活動を行うとき、観劇をするときの指針ともなっています。

だから、「ぜったいね、おむすびのためにもなるから受けたほうがいいよ!」と薦めて薦めて・・・昼間の研修にはシフトの関係でなかなかいけない方がいるということで、夜に行うことにしたんです。

昼間の研修に参加したメンバーから、「同じね~いってること」とやっぱりみんな感じてくれて、どれだけ嬉しかったか(TT)そうなの!そうなの!って。

ことばにするのってものすごい難しいんですが・・・ほんと演劇のWSそのもので面白かった~~!!

思ったことは、身体と心は一つだということ。

実は大津波で揺れていたあの日に東京に日帰りで呼吸と発声の個人レッスンに出かけてました。
その方は日本からイギリスに活動の場所を移し、日本の演劇教育に一石を投じようとしている方で、ものすごい刺激を受けているのですが、久しぶりに呼吸のレッスンをしていて・・・

見事に・・・

身体のバランスが崩れているのを見抜かれてしまいました。(笑)
忙しくストレスがかかると呼吸を忘れてしまう。首・肩、胸とガチガチ
一つひとつ呼吸をすることで、身体が解放されていくと、声がものすごく変わるんです。
びっくりするほど。
うたっていても、身体の力が入ると、とたんに声が出なくなる。
そこを緩めると

ああ・・普段からこうやって身体と対話して、解放すると、理想とする声が出るんだなと納得しました。
最近呼吸健康法はやってますがほんとですよあれ、胃痛も生理痛も楽になるもん。不思議です。

で、ゆみさんのWSはまさにその心の解放ができる。

昼間の研修で、みなさんを観察していたのは、表現活動への取り組みや理解の全く違う人をどう解放していくのか・・・そこがとっても参考になりました。
ものすごい計算がされていたなと。

研修っていつも思うんです。
こういう表現活動って、評価できないでしょう。で、なかなか目に見えない。そのときもらったものが。即、使えたり、理解できるものではない。『自分』を鍛えるためのこと『自分の中に幸せ貯金を増やす』ことだとおもうんですね。だけど、それって、外からみたら『評価』できないんです。
「本当にいいものだ!!」研修を企画する側はそれをわかっていてもそれにお金を出す側としては万人にちゃんとそれが伝わる形としてのこるものでしか評価できない。

ここが表現活動の弱いところだと思ってます。そういう人に理論でしっかりと説明できない。
人生においてこれが「できない」とね、「生きる」ことができないくらい大切なもののはずなのに・・・


だから学校教育でも表現活動って即効性がないから削られて・・・で、今の問題が起きてるんですよ~~!!

自分を解放する。解放するだけでなく、きちんと戻してあげる。
表現活動の暴力といわれるものもあります。
与えるだけ与えて、終わりをきちんと終わらせない。
まだ現実と夢のあわいの世界にいる子ども達にそれをしちゃうと、こっちの世界に戻ってこれなくなる。
これは、おはなし会などでお話を読むときと一緒。
はじまりと終わり。幕をあけて幕を下ろす。その大切さ。全部につながっているなと。あ・・・ずれちゃった。
だから、そういう表現活動を子どもと行うためには、きっちりと自分自身が勉強し、子どもにとって暴力にならないようにしっかりと自分の立ち位置や今の状況を瞬時に読んで臨機応変に対応していく柔軟性というものが必要になります。
教師(大人)側がそれを教育という集団の場で行うにはだから『資格』というものが必要になるんだと思うんです。
そうしないと・・・簡単に子ども達を扇動してしまうことにもなる。教育ってもろ刃の剣だと思うんですね。

そのためには、まず、大人が自分を知らなきゃ。

WSを受けていてそれを痛切に感じました。

使っているようで使っていない筋肉。
身体

自分の身体で表現活動を行っている人々は、その自分との対話をきちんとしているなとおもいました。

人に何かを伝えたいときの身体の動き。
「ことばがあるから、動きがある」
「セリフは行動を説明しているだけ」
それをね、表現活動を仕事にしている人々から学ぶたびに思うんです。
表現活動って・・・積み重ねだなと。ほんと毎日練習してそして、いつか花開く。

研修会に参加する人々も様々だから、私自身講師になったときは、どこに標準をあわせていいかやっぱり悩むんですよ
ゆみさんはとってもまじめで優しいから、みんなに何かを持って帰ってもらいたいって思って、ほんと全力で挑んでくるんですね。で、研修会が終わったあとはきちんと分析しているし。

そういう話もできたのが私にとっては収穫(笑)。

でも思うんです。その人の育った環境や考え方って一人一人違うものだし、みんなにこちらの意図したことを全部持って帰ってもらうものは無理だとおもうんです。

でも発信する側がきちんとした『おもい』を持ってことばを選ぶとその『おもい』ってちゃんと伝わるし、いつかきっと何かと結びつくだろうなと。

パントマイムのために必要なストレッチや練習。それって、普段自分の解放ができてない私にとってはとっても心地よくって、そして楽しかったです。

その解放が子ども達にとって何がいいのか。それをより具体的にことばにしていく。それが私がこれからやらなきゃいけないことなんじゃないかなと思ってます。表現活動の発信。
そのためにここ数年ず~~と受信してたんだなと。

こどもたちと集団ですごすときに気をつけることとして、スタートラインの気持ちをそろえるということを大切にしています。

だってね、子どものすごす家庭は一人一人違うでしょ。寝る時間も、食事をする時間も。学校で喧嘩してきた。とても楽しかった。そんなことばにできないもやもやの気持ちを持って児童館にくるでしょ。
少しでもその気持ちがそろうことができる瞬間ってどうしたらいいのかな・って。

WSで行ったゲームやストレッチって実はその気持ちをあわせるのにものすごく役に立つんですよ。
身体に「さ、今日も遊ぶよ」「元気?」って自分で自分の身体に聞くこと。自分を知るということ。

そして、演劇WSそのものが・・・なんていうのでしょう・・・パントマイムが生まれた背景そのものにつながっているなとおもいました。パントマイムは演劇だと確信した瞬間でもあります。
抑圧された、制限のある中で、いかに自分のことばを発することができるか。
WSのゲームの中でも普段何気なく使っている「ことば」というコミュニケーション技術を封じる。
その中でコミュニケーションをとらなければならないとき、どうやって相手と話をするか。相手の気持ちを読み取るか。制限されることの面白さ。自由だけではない自由だけでは決して得ることのできない面白さ。
これって・・・人生そのものだなと(大げさかしら?)
だから・・・自分の得意技を封じられたときの必死さは、周りから見ると道化のようにも見え、本人も必死なんだけどいつのまにか可笑しくなってくる。その緊張と弛緩のおもしろさ。これは演劇WSだけじゃなく、こどもの毎日のあそびとも通じるし・・・逆境に陥った時の大人の頑張りにも似てるし・・・
表現活動って、だから人生の練習だと思うな。

コミュニケーションゲームをしている皆さんを見ていて、実は「ああ、まだあの人は自分の解放ができてないな」とか「人の目を気にしてがんばる人なんだな」とかその人の置かれている環境や性格がちゃんと見えてきました。
WSに参加していた岩きりのSTAFFの抱えている問題も見えたり・・・ふふふふこわいでしょう(笑)
でもそれは決して悪いことではなくって、それをきちんと自分で理解して解放してあげることで、いい方向に流れていく。それがちゃんと伝わってきました!

ほんとね~ただ曲にあわせて動くことだけだったのに、1回目と2回目の歩き方がまったく違うのだからびっくりです。

ゆみさんほんとお疲れ様でした。
またあそんでくださいね!









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